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ivanov666
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Файл:Японский язык. Средний уровень. Сборник упражнений
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9月 - 横浜港に入港した“あめりか丸”の内部で、ペスト患
者を発見・診断した。
10月 - 検疫官補の仕事ぶりが認められ、清国でのペスト対策
として北里伝染病研究所に内務省より要請のあった、国際防
疫班に選ばれる。しかし支度金96円を放蕩で使い果たしたた
め、資金を血脇に工面してもらい渡航。清国では牛荘を中心
に一般的な病気の治療にあたった。半年の任期終了後も国際
衛生局、ロシア衛生隊の要請を受け残留。国際的な業務を体
験し、翌年5月にフレクスナー宛にアメリカ留学を希望する手
紙を出す(ロックフェラー大学・noguchi-paper)。この時期
は大変な高給に恵まれたが、放蕩で使い果たしてしまったた
め、渡航のための資金を得る事はできなかった。
1900年(明治33年)
6月 - 義和団の乱により清国の社会情勢が悪化。
7月 - 日本へ帰国。開通したばかりの岩越鉄道線(現・磐越
西線)で福島県に帰郷。小林に留学資
金の融通を要請するも、「いつまでも他人の金に頼るな」と
諭され拒否される。再び神田・東京歯科医学院(芝より移転
した元・高山高等歯科医学院)の講師に戻る。
12月 - 箱根の温泉地にて知り合った斉藤文雄の姪で、医師を
志す女学生・斉藤ます子と婚約を取り付け、その婚約持参金
を渡航費に当て、アメリカへ渡航[注 11]。北里の紹介状を頼
りに、フレクスナーのもとペンシルベニア大学医学部で助手
の職を得て、蛇毒の研究というテーマを与えられ、研究の成
果を論文にまとめる。この蛇毒の研究は、フレクスナーの上
司で同大学の理事であったサイラス・ミッチェル博士からも
絶賛され、野口はミッチェルの紹介で一躍アメリカの医学界
に名を知られることとなった。
1901年(明治34年)
ロックフェラー医学研究所が設立される。この研究所の設立
にあたっては、フレクスナーが組織構成を任されていた。
キューバの眼科医カルロス・フィンレーとアメリカの軍医、
ウォルター・リード大佐が人体実験により黄熱が蚊により伝
染することを突き止める。また黄熱患者の血清を細菌濾過器
に通過させることにより、黄熱病病原体が血液中にあり濾過
性のウイルスであることを証明する。(野口は後年南米での
黄熱研究でこの証明を受け入れていない。)
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1903年(明治36年)
フレクスナーの指示によりデンマーク、コペンハーゲンの血
清研究所に留学。血清学の研究を続け、物理学者アーレニウ
ス・マドセンとの連名でいくつかの論文を執筆する。
1904年(明治37年)
10月 - アメリカに戻り、ロックフェラー医学研究所に移籍。
1905年(明治38年)
血脇が婚約持参金300円を斉藤家に返済し、斉藤ます子との婚
約を破棄。
1911年(明治44年)
8月 - 「病原性梅毒スピロヘータの純粋培養に成功」と発
表。世界の医学界に名を知られることとなる。(ただし継代
培養された野口株は病原性を失い、また病原性梅毒スピロヘ
ータの純粋培養は現在でも追試に成功したものがいない。試
験管内での病原性梅毒スピロヘータの培養はニコルズI株につ
いて1981年以降に成功が複数報告されているが、その培養条
件は野口の報告とは異なり、純粋培養の成功は現代ではほぼ
否定されている)。京都帝国大学病理学教室に論文を提出、
京都大学医学博士の学位を授与される。
4月10日 - アメリカ人女性のメリー・ダージスと結婚する。
夫人との間に子供はなく、養子縁組の時期など、詳細は不明
だが甥(姉・イヌの長男)を養子にしたとされ、夫人は福島
の義姉に仕送りを欠かさなかったと言う。夫人は戦後、間も
なく亡くなり、姉・イヌも明治、大正、昭和の激動の時代を
生き、90歳の天寿を全うした。
1913年(大正2年)
梅毒スピロヘータを進行性麻痺・脊髄癆の患者の脳病理組織
内において確認し、この病気が梅毒の進行した形であること
を証明する。これは、生理疾患と精神疾患の同質性を初めて
示したものであった。小児麻痺の病原体特定、狂犬病の病原
体特定などの成果を発表(ただし、後年小児麻痺、狂犬病の
病原体特定は否定されている)。
1914年(大正3年)
東京大学より理学博士の学位を授与される。この年の7月にロ
ックフェラー医学研究所正員に昇進する。この年のノーベル
医学賞候補となった。
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1915年(大正4年)
9月5日 - 年老いた母との再会を果たすため、15年振りに日本
に帰国。帝国学士院より恩賜賞を授けられる。またこの際に
ワイル病スピロヘータを発見した稲田龍吉・井戸泰の研究お
よび伊東徹太のワイル病スピロヘータの純粋培養に関する研
究を視察している。以後、彼は日本に帰国していない。2度目
のノーベル医学賞候補となる。
1918年(大正7年)
ロックフェラー財団の意向を受けて、まだワクチンのなかっ
た黄熱病の病原体発見のため、当時、黄熱病が大流行してい
たエクアドルへ派遣される。当時、開通したばかりのパナマ
運河周辺で、船員が黄熱病に感染する恐れがあったため、事
態は急を要していた。野口に黄熱の臨床経験はなく、患者の
症状がワイル病に酷似していたことから試験的にワイル病病
原体培養法を適用し、9日後(日数については諸説あり)には
病原体を特定することに成功しこれをレプトスピラ・イクテ
ロイデスと命名。この結果をもとに開発された野口ワクチン
により、南米での黄熱病が収束したとされる。
(ただし、1901年のウォルター・リードの研究結果との乖離か
ら、当時より野口説に対する反論があり、特にワイル病との
混同が指摘されていた。後年アフリカの研究で野口は黄熱病
原がリードの主張同様濾過性であることを認めている。)こ
の成果により、野口はエクアドル軍の名誉大佐に任命されて
いる。さらに、3度目のノーベル医学賞の候補に名前が挙が
る。英世の母シカが死去。
1919年(大正8年)
ペルー訪問。国立サン・マルコス大学医学部より名誉博士号
授与。リマ市滞在4日間にオロヤ熱およびペルー疣という2つ
の風土病の情報を入手。
医師団としてロックフェラー医学研究所からメキシコへ派遣。
1923年
7月 - 英世の父・佐代助が死去。
11月 - 日本の帝国学士院会員となる。
ジャマイカ・キングストン「熱帯病会議」にて鞭毛虫研究、黄
熱病研究の発表を行う。ここでキューバの研究医アグラモンテ
より、黄熱病病原体とされているイクテロイデスはワイル病病
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原体と菌株が違うのみではないかと指摘を受ける。会議後アグ
ラモンテを招き自らの研究結果を見せ説得を試みる。
アフリカ・セネガルにて黄熱病が発生、イギリス、フランスの
研究施設より野口ワクチンが効果を見せずイクテロイデスが発
見されない旨の報告を受ける。ロックフェラー国際衛生局がナ
イジェリアのラゴスに黄熱病対策組織として医学研究所本部を
設置、野口の部下であるイギリス出身の医学者エイドリアン・
ストークス博士を派遣するも同様の研究結果となる。
ペルー疣とオロヤ熱が同一病原であることは1885年にペルー
の医学生、ダニエル・アルシデス・カリオンが証明していた
が、アメリカの学会の一部で否定されていた。これを病原で
あるバルトネージャ菌分離と猿による実験で証明し、論争に
終止符を打つ。
南アフリカ出身の医学者マックス・タイラーらが、黄熱ウィ
ルスの単離に成功。黄熱病についての野口説(イクテロイデ
スが病原であること)を反証する。
トラコーマ病原体を発表する(ただし、後年クラミジアが発
見され否定される)。
ロックフェラー医学研究所ラゴス本部で黄熱病研究を継続し
ていたストークス博士が黄熱病で死亡。
10月 - アフリカへ黄熱病研究のため出張。
11月 - イギリス領ガーナのアクラに到着、野口説に否定的見
解を抱く研究者の多いロックフェラー医学研究所ラゴス本部
での研究を望まない野口に、イギリス植民局医学研究所病理
学者ウイリアム・A・ヤング博士が(ロックフェラーの組織外
の)研究施設を貸与し研究を開始。現地で黄熱病が収束し、
ラゴス本部から病原体を含む血液を提供されず、病原体が入
手できないため研究が進められない状況が続く。
12月26日 - ウエンチ村で黄熱病らしき疫病が発生したとの報
告を受け血液を採取に行く。
1月2日 - 野口自身が軽い黄熱病と診断する症状を発症し入院
(ただし、別の医師にはアメーバ赤痢と診断されており、こ
の時の症状は黄熱病ではなかったと考えられる)。
1月9日 - 回復し退院、研究を再開する。
3月末、フレクスナー宛にイクテロイデスとは異なる黄熱病病
原体をほぼ特定できた旨の電報を出す。秘書への手紙に濾過
性微生物(ウィルス)が病原であると言及しそれまでの自説
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を否定。
4月 - フレクスナー宛にアメリカで研究を継続したいため、5
月19日にアクラを発つと打電。
5月11日 - ラゴスのロックフェラー研究所本部に行った際、
体調が悪化。
5月13日 - 黄熱病と診断され、アクラのリッジ病院に入院す
る。見舞いに来たヤング博士に「君は大丈夫か?」と尋ねた
後に、(終生免疫が続くはずの黄熱病に再度かかったのを不
可思議に思い)「どうも私には分からない」と発言。この言
葉が最後の言葉とされている。
5月16日 - 回復し、空腹を訴える程食欲も戻る。その旨はフ
レクスナーにも打電される。
5月18日 - 病状が再度悪化。
5月21日 - 昼頃、病室で死亡。51年の生涯を閉じた。野口の
死後、その血液をヤング博士がサルに接種したところ発症
し、野口の死因が黄熱病であることが確認された。(ヤング
博士自身も29日に黄熱病で死亡)
6月15日 - アメリカのニューヨークのウッドローン墓地に埋
葬される。
①言葉リストを作りなさい。
②教科書のテキストとこのテキストの違いは何ですか。
③どれがより面白いと思いますか。どうしてそう思いますか。
④多くの偉い日本人ではどうして野口英世こそ教科書に出た
人物になったのでしょうか。
⑤野口英世について二つのテキストを合わせて話しなさい。
次の説明文を読んで、訳しなさい
A:誰かポスターを書いてくれる人を知りませんか。来月、会
社オーケストラのコンサートを開くんです。
B:ああ、それなら弟に書かせてやってくださいませんか。美
術学校の学生なんです。
ここで「させてやる」と「くださる」がすべてありそうです。
これはパターン1(させてやる)ですか、パターン2(させて
くれる)ですか。
ちょっと分析していただけませんか。
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A
「誰かポスターを書いてくれる人を知りませんか」から「ポ
スターを書いてくれる人」の部分だけ取り出します。
これを、「人」を「鈴木さん」に取り替えて、「佐藤さん
は」を主語とした文に書き換えると、「鈴木さんはポスター
を書いてくれる」(2のパターン)となります。
B
まず、
・「~せてやって」は、「~せてあげて」と同じ意味・用法
です。
・「くださいませんか」は「くれないか」の丁寧語です。
ですから、「弟に(ポスターを)書かせてやってくださいま
せんか。」 = 「弟に(ポスターを)書かせてあげてく
れないか。」となります。
肯定文にすれば、「弟に(ポスターを)書かせてあげてくれる。
」です。
話す相手の名前が佐藤さんだとすれば、「佐藤さんが弟にポ
スターを書かせてあげてくれる。」となります。
ここで注意しなくてはいけないのが、
文末にある「くれる」は、「~せてくれる」の用法ではない
ということです。
「~せてくれる」の用法ならば、「書かせてあげさせてくれ
る」になります(かなり不自然な日本語ですが)。
(たぶん、このことについては、日本人でも、ちゃんと分析
できる人は少ないと思います。)
書くことを許可する人は佐藤さんです。
書くことを許可される人は弟です。
そういうわけで、
「佐藤さんが弟にポスターを書かせてあげてくれる。」から
「くれる」を取り去って、「佐藤さんが弟にポスターを書か
せてあげる。」という文として考えることができます。
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ですから、「弟に書かせてやってくださいませんか。」は、
1のパターンです。
なお、「~せてやって」は、「~せてあげて」と同じ意味・
用法です。
と書きましたが、「やる」は「あげる」よりもぞんざいな表
現です。
「金はやるから、秘密はばらすな。」 ぞんざい
「お金はあげるから、秘密は守ってくれ。」 普通
「お金は差し上げますから、秘密は守ってください。」 丁寧
今年は自由にやらせてやるから、来年はちゃんと勉強しろ。
‐ぞんざい
今年は自由にさせてあげるから、来年はちゃんと勉強してね。
‐普通
今年は自由にさせてあげますから、来年はちゃんと勉強して
ください。‐丁寧
13課の文法を使って文を作りなさい
~と、~た。
~すると
~たら、~た。
~はずのN
~まい
~ぐらい
~だって
~てほしい
~ところへ
~そうもない
~なんか/なんて
~ものだ/ものではない
~に向かって
~させてくれる/もらう/あげる/やる/ほしい
~ことになる
あまりにも~ので
(もとのとおりにならない)までも
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~結果
~かたわら
~げ
暇もなく
~上がる
~続ける
(を)楽しみ(にして)
~返す
(を)きっかけ(にして)
新しい文法に注意して訳しなさい
今のわたしの安い給料では、何年働いても自分の家は買えそ
うもない。
この雨は止みそうもないので、仕方なく雨の中帰りました。
この渋滞では約束の時間に間に合いそうもない
全然勉強をしなかった。その結果、入学試験に落ちてしまった。
父は、人の何倍も努力した。その結果,仕事で成功した。
どんなに苦しくても彼はあきらめなかった。その結果、この
ような偉大な発明が生まれたのだ。
大学入学をきっかけに、一人暮らしを始めた。
病気で 入院したのをきっかけに、タバコをやめることにした。
松川先生との出会いをきっかけに、私の人生は変わりました。
旅行をきっかけにして木村さんと親しくなりました。
だって、時差が12時間もあるんだもん。眠くて当たり前よ。
だって、あなたのガールフレンドはわたしよ!
だって、二人は友達だろう?
この飛行機は現在大阪に向かっています。
選手はゴールに向かって全速力で走っている。
先生に向かって失礼なことを言わないでください。
目的にむかってまっすぐに進みなさい。
学生たちは黒板に向かって座っている.
彼女の笑顔にはどこか寂しげなところがあった。
彼女は苦しげにうめいて横たわった。
学生たちは楽しげにおしゃべりしていた。
「大丈夫?」彼は訝しげにもう一度聞いた。
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老人が、何か言いたげに近づいて来た。
山田は片手で物憂げに髪を掻いた。
子供たちは庭でいかにも楽しげに遊んでいる。
「そうか」彼は考え深げに言った。
それはどうでもいいんだ。だって、どうやってそこに行くの
かまだわからないんだし…
だって、あいつのために死ぬ価値なんてないぜ。
彼は東京大学に合格したんだって。
明美さん,結婚してるんだって。
彼女、休みには会いに来るんだって。
彼はまた彼女と暮らしてるんだって。
君たちがドラゴンに乗って逃げたんだって?誰もが話してるよ。
この店のピザ、おいしいんだって.
小学生の時、よく学校をサボって母に叱られたものだ。
学生時代は毎日図書館に通ったものだ。
うそは必ずばれるものだ。
子供のころはよく川で遊んだものだ.。
前はよく秋葉原に行ったものだ。
人間は年を取ると記憶力が衰えるものだ。
時間の経つのは早いものですね。
昔はわたしが父に叱られたものだ。
彼は教師の仕事をするかたわら小説を書いている。
彼女は会社勤めのかたわら、ボランティア活動に積極的に取
り組んでいる。
わたしは学校に通うかたわら、夜はスーパーで働いている。
松本潤は歌手としての活動のかたわら、俳優としても活躍し
ている。
彼がみんなの皿一杯にたっぷり肉を切って分けるかたわら、
奥さんはおもしろおかしく話して皆を喜ばせました。
父は農業のかたわら、小さい店を経営している。
納豆なんて嫌いだ。
わたしはうそなんかつきませんよ。
お化粧なんかしてはいけません。
わたしは鼻が高いわ。なんて素敵な知らせでしょう。
カラオケなんか行きたくない。
彼は社長に辞表を提出するなんていうわけにはいかない。
英語でスピーチなんかできません。
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あの女のやりそうなことだ.草むらに隠れて盗み聞きするな
んて。
「泣いてるの?」 「泣いてなんかいないよ!」
最新の文法を使って書きなさい
1. Вряд ли этот стакан из жаропрочного стекла.
2. Младенец, который должен был сладко спать, выполз
из-под стола.
3. Даже великий человек может потерпеть неудачу.
4. Раздражает (неприятно) ездить в переполненном транс-
порте.
5. Как раз когда он, еле волоча ноги, плелся домой, раздался
звонок от начальника.
6. Не похоже, что он может пользоваться свободно (чем-то).
7. Изделия из стекловолокна требуют осторожного обраще-
ния.
8. Когда ребенок начал громко кричать на весь магазин, мама
позволила ему поиграть с другими детьми.
9. Было решено, что после окончания школы он будет посту-
пать в аспирантуру.
10. Удивился тому, что доллар за месяц так сильно вырос.
11. В результате проведенных исследований был обнаружен
особый вирус.
12. Учась в институте, каждый может узнать много полезной
информации.
13. Он смущенно ответил, что допустил ошибку из-за волне-
ния.
14. У него не было минутки даже на то, чтобы принять душ.
15. Удивительная птица взлетела (в небо), когда я проходил
мимо.
16. Какими бы ни были сложности, он не терял надежды.
17. Ответил на его грубые слова.
18. С нетерпением жду церемонии вручения Нобелевской
премии.
19. Пользуясь приездом в Японию, встретилась с учителем,
которого давно не видела.
20. Продолжал идти, несмотря на то, что рана сильно болела.
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